カウンセリング

  月・水・土曜日は牧師面会日です。牧師との面会を希望する方はウェブサイトの「問い合わせ」[email protected]

または電話で御予約ください。対象は信者未信者を問いません。

     担当カウンセラー:西田恵一郎

      米国での教育を終えた後、南カリフォルニア・メソジスト病院で研修。帰国。松山赤十字病院などで

            カウンセラーとして勤務。学校付き牧師時代、スクール・カウンセラーを兼務。

    資格:NCCA (全米キリスト教カウンセリング協会) 認定カウンセラー 16766号。

              ACPE米国臨床牧会教育協会)会員。

     幼児教育・育児相談には、モンテッソーリ教育幼稚園の元園長が応じることができます。

$ カウンセリングを少し知ってみたいと思う方へ

 

 私がアメリカでチャプレン(病院付牧師)とキリスト教カウンセリングの学びと研修を終えて帰国したのが1983年でした。現在ほど「カウンセリング」という言葉が一般的ではなかったように思い返されます。そのような中、四国のある地方都市の病院に職を得て細々と「カウンセリング」を行っておりました。やがて、近隣の中学校から不登校やいじめの相談依頼を受けるようになりました。

 数年後、働きの場を医療現場から教育現場に移すことになるのですが、カウンセリング(相談業務)から離れることはありませんでした。生きることそのものに「相談」というものが関わっているので、どのような世界で生きていても      業務ではないにしろ      、誰も「相談」から離れることはないのかもしれません。

私のごく限られた学びと経験からではありますが、カウンセリングについて少し「共に」考えてみることができればと願います。

 

第一回:テーマ「わたしはだれ?」       自己理解      

 人間は誰しも自分に最も強く関心を持っています。これは、いわゆる「自己中」というのではなく、ごく自然のことです。カウンセリングも人間が最も関心をもっている「自分」について、よりよく知る助けとなります。そして、自分を知ることが、人間が最も問題としている対人関係     私がかつて教えていた短大の卒業生から話を聞くと、最も頭を悩ませるのが人間関係のようです     の改善にも繋がるのです。対人関係の前に、まず「対自分関係」に目を向けてみましょう。( )に当てはまる言葉を考えながら、一緒に進めてください。

 

(a) 対自分関係

  ⅰ)自分とうまく付き合う能力は( ① )したもの。

      学習 )。自分の長所や短所を受け入れる能力は、生まれ持って備わっている才能のようなものではありません。皆、成功したり失敗しながら     傷つきながら     学んでいるのです。

  ⅱ)自分とうまく付き合う能力により自己の必要を満たす。

     対人関係を上手く運ぶことも大切です。しかし、自分自身の健全性を保つということを(おろそ)かにしてはいけません。

  ⅲ)自分とうまく付き合う能力は( ② )との充実した関係に通じる。

      他者 )。当然、対人関係に影響します。

  ⅳ)カウンセリングにおいて、この能力の成長を図ることができる。

     カウンセリングにおいてカウンセラーと共に自分自身を知ることは対人関係の「リハーサル」と言えるかもしれません。

  ⅴ)直面している問題が、「行為や出来事」      英語の( ③ )     ではなく、「内的自己」     英語の( ④ )      から発していることもある。

     ( ③ doing )( ④ being。従って、「自分は何をすれは良いのだろう“What I do”(行為) ではなく、「どう()ればよいのだろう…“Who I am” (人格)を考えることも必要です。

 

(b) 対自分関係の3つの側面

  ⅰ)自己理解(認識)の必要性

     さて、私たちは一体どの程度、自分を知っているのでしょう? 分かっている内容として、( ⑤ )( ⑥ )( ⑦ )

               ( ⑧ )( ⑨ )などが挙げられます。

      ➥ 長所)( 短所)( 欲求)( 感情)( 動機)。 

        現実に持っているこれらの要素を否定、否認、隠蔽すると…。

                  

        フラストレーション、不満足、充実感欠如、自己内分裂、操作欲求(他者を操作しようとする欲求)、投影(八つ当たり)、判断ミスなどに繋がります。

   ⅱ)対応

      このような状況に陥った時、「自分の内側にある問題     例えば反抗心、優柔不断など      が原因ではないか…」と自問してみることが必要です。

   ⅲ)『奥村一郎全集』「①慈悲と隣人愛」という書物から、その一部を抜粋してみたいと思います。タイトルは「動物実験」です。

     

2001年に逝去された岸本鎌一先生(元名古屋大学名誉教授・神経精神科学)は、宗教、宗派を問わず、それぞれの聖典の写経を精神疾患の人に勧めることによって、すぐれた治療効果をあげておられた。かつて先生とNHK名古屋テレビで対談させていただいた時のことである。『現代人の悩みと宗教』というテーマであった。そのとき先生が次のような思い出を話された。

 

 若いとき、私は医学を志し大学に進んだのですが、その頃とても悩むことがありました。それは動物実験ということでした。医学生として、どうしても動物実験をしなくてはならなかったのです。それが私には堪えられなかったのです。かわいそうなモルモットや犬の生体実験をし、はては殺してしまわねばならなかったことが。いっそのこと、医者になるのをあきらめようかとまで思いつめました。

 

そこであるキリスト教の牧師さんのところに行き、その悩みをうちあけました。ところで、その牧師さんがおっしゃるには、「何を悩むことがあるのですか。神は、海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うすべてのものを人間に任されたのです」(創世記126節)まことにはっきりしたご返事だったのですが、私の悩みは晴れませんでした。そこで今度は、仏教のお坊さんのところに行ってみました。するとお坊さんは、「岸本さん、それはむずかしい問題ですよ。一生もち続けてゆく悩みですよ」といわれました。回答(解答)にはならないおことばでしたが、私はなぜか、そこでふっと悩みが消えて、医者になる決心がつきました。

 

 この先生のお話を聞きながら、私は思わず、「ああ、キリスト教の負けですね」といってしまった。テレビを見ていたキリスト教信者の友人が、あとですかさず文句をいったことはお察しいただけよう。「そんなに早くカブトを脱ぐことはないじゃないですか」と。そのときは、うまく返事ができなかったことを思い出す。だいたい、私は頭の回転速度がにぶくて、即答の下手なことを、ときどき口惜しく思うことがある。そのときも、「いや、脱ぐためのカブトなど、かぶっていなかったからね」と、禅問答をまねて、さらりとうっちゃりを喰わせればよかったと思いついたのは数日後、あとの祭り」。

                 

      「回答(解答)にはならないおことばでしたが、私はなぜか、そこでふっと悩みが消えて」。私たちは、とかく問題解決のための   

     「回答(解答)」を出そうとします。しかし、答(正解・正答)が出たからと言って「悩みが消える」とは限らないのです。自分の内

     側の状態を知り、整理することで悩みが消えることもあるのです。岸本先生にとって必要だったのは、生体実験の正否に対する 

     「回答」(解答)ではなく、「医者に なる」という決心をすることでした。未回答(解答)のままでも、解決はあるのです。

 

(c) 自分で方向づけを行う(自己決定)の必要性

  ⅰ)「私は自分で決断する」。

    自分で人生の方向づけをし、自己の行為の( ⑩ )を取る。

     ( ⑩ 責任)

  ⅱ) 自分で責任を取ることに困難を覚える人の特徴は( ⑪ )( ⑫ )( ⑬ )など。

( ⑪ 優柔不断)( ⑫ 先延ばし)( ⑬ 言い訳)。その他に責任転嫁など。

)自分で責任を取ることを困難にする原因。

( ⑭ )( ⑮ )欠如     過保護による経験不足など 。

     ( ⑭ 自信)

     自信が無いので、決断できなかったり(優柔不断)、決断を先延ばしにしたり、自分の失敗を適切に(とら)えられないため、他者を責

                 めたり、言い訳をしたりしてしまいます。

( ⑮ 自制心)

  自制心の欠如を克服するために、自己破壊の可能性の示唆     「このままでは駄目ですよ」と言うこと     や自分に正直になることへ

の勧め、自制心強化の勧めなどは、あまり効果が無いかもしれません。聞く耳を持っていない場合が少なくないからです。

  しかし、もし自分をカウンセラーという立場に置こうと思うなら、「カウンセラー」と訳されているギリシア語の“παράκλητος” 

   (parakletos)が意味する「他の者の側に呼ばれた者」を意識する必要があるでしょう。“parakletos”(パラクレートス)は、聖書

では神様の霊である聖霊のことで、聖霊は常に私たちと共に居て、助け、慰め、励ましてくださるお方です。私たちがそのような

在になることはできないのですが、「寄り添う者」としての心と姿勢は保ちたいものです。

 

(d) 自尊心あるいは自己肯定感を高める

ⅰ)自尊心をと自己肯定感を区別するのは難しいことですが、両面の定義を含めて「自分はかけがえのない存在である、価値のある存在であると思う心情のこと」と定義しておきましょう。この心を高めるためには成功体験が大いに助けになるのは確かですが、人は常に成功する訳ではありません。

)そこで、「人間」という存在の大前提を聖書から紹介し、そこに土台を置きながら歩みを続けてみるのは如何でしょうか。

  神は人を自分のかたちに創造された。神のかたちにこれを創造し、男と女に創造された(聖書協会共同訳聖書 創世記127)。「かたち」とは、目に見える姿形(すがたかたち)のことでないのは言うまでもありません。しかし、一ひとりは神のかたち      つまり神に似せて      造られたのです。

  あなたはわが目に尊く、重んぜられるもの、わたしはあなたを愛する(口語訳聖書イザヤ書434節)。「誰が何と言おうと、神様が私を愛し、私に価値を見出している」。再スタートを切るには、これで十分なのです。聖書の言葉      神の言葉     に偽りはありませんから、そこを拠り所として歩みを続ければよいのです。