<説教の要約> 

西経堂伝道所牧師 西田恵一郎

「その名はイエス」 

  (エレミヤ書23章5~6節、ルカによる福音書2章15~21節)

        

 羊飼いたちに際立っているのは彼らの行動力です。いかに彼らが救い主を待ち望んでいたかが分かります。殊に彼らの「(人々に)知らせた」(17節)とイエスと出会ったばかりのフィリポが友人ナタナエルに言った「来て、見なさい」(ヨハネ1章46節)には共通するものがあります。難しい事を知らなくても、私たちにも「(人々に)知らせた」り「(イエスの許にあるいは教会に)来て、見なさい」と言うことはできるはずです。これが伝道です。もう一つは「帰って行った」(20節)です。元の持ち場に帰ったのです。そこは以前と何も変わってはいません。しかし、彼らが変えられていました。彼らは神に遣わされた者としての生活を始めていたのです。「(羊飼いたちの言葉を)聞いた人々」(18節)は「不思議に思った」  驚き、訝った  ようですが、それ以上ではありませんでした。それはマタイ伝2章に記されている旧約聖書の学者たちにも共通しています。イエス誕生の場所はベツレヘムと知ってはいたものの、そこに赴いて礼拝しようとはしませんでした。イエスの母マリアは「心に留めて、思い巡らしていた」(19節)  「大切に取って置く」や「宝物のように蓄える」  という意味です。彼女は1章での天使の言葉や羊飼いたちの知らせの内容を理解してはいなかったようです。しかし、やがて分る時が来るのです。私たちも羊飼いたちやマリアのようでありたいものです。