<説教の要約>

「キリストの愛を知る」(ヨブ記2614、エフェソ31421

 

パウロは「膝をかがめて」(へりくだりの姿勢で)懇願の祈りを再開します。祈りの相手は「天と地にあって家族と呼ばれているものの源である御父」15節)です。死んだ者も生きている者も、異邦人もユダヤ人も、すべての者は一つの家族で、その家族には父は一人しかおらず、その父が主イエス・キリストの父だと言うのです。そして、懇願の内容は、人の間にある違いを乗り越えること。そして、それが可能なのが、この同じ父を持つ教会なのです。人にとって違いを乗り越えることは大きな課題です。そのためには、「大胆さ」12節)とアラム語「アッバ」=父が意味する「率直さ」が伴う祈りが必要です。その姿勢をもって3つのことをパウロは祈ります。①「内なる人を強めてください」16節)、②「(キリストが)心の内に住んでください」17節)、③「愛に根ざし、愛に基づく者としてください」17節)です。カルヴァンは「我々は、何ものにも、ゆすぶられないまでに、愛において根まで植えられ、土台まで深い愛情に建てられていなければならない」と言っています。このように捧げる①~③の祈りの答は、神の愛同様「人知をはるかに超えたもの」19節)です。「彼らが呼ぶより先に、私は応え、彼らがまだ語っている間に、私は聞き届ける」(イザヤ652425とあります。パウロの教会に対する祈りのように、大胆に、かつ子どものように信頼し、この不可能と思えるような課題に対して祈る者とされたいものです。