<説教の要約>

西経堂伝道所牧師 西田恵一郎

「彼らだけではないのです」

(エゼキエル書34章11~16節、ルカによる福音書15章1~7節)

 

 「見失った羊」と「無くした銀貨」の喩を比較し、「いなくなった息子」の喩で結論を述べるという手法はルカがよく用いたようです。一匹の見失った羊も無くした銀貨も相対的な価値でなく、持ち主にとって大切な存在であったことが鍵です。神の象徴である「持ち主」は見つかるまで諦めることなく、探し続けます。結論である「放蕩息子」の喩での主役は父親です。父が神の象徴であるのも明白です。弟息子の罪は親子の関係を断ち、自分の思い通りに生きようとしたことです。人が幸せに生きるためには、あるべき関係(創造者の神と被造物の人が父と子の関係にあること)に留まらなければなりません。父は息子を探しつつ、彼の心の変化を待ちます。帰還は強制できないからです。これが羊や銀貨と違う点です。遂にその時が来た時、父は歓待した上で親子の関係を回復します。「失われたもの」が戻ったのですから。実は兄息子にも罪がありました。父の愛よりも相続財産を求め、自分の功績や正しさに対して報酬を求めていたことです。彼も「失われたもの」だったのです。弟息子と罪人たち、兄息子と学者たち。彼らは形こそ違えど、いずれも「失われたもの」でした。神はイエスを通して彼らを皆、探し求めているのです。「我に返り」(17節)、神に立ち帰る者でありましょう。