<説教の要約>

「御父と御子との交わりへの招き」

(創世記1章1~3節、ヨハネの手紙一1章1~4節)

 

 本日からヨハネの手紙一を学びます。著者は使徒ヨハネかその門下の者、執筆時代は西暦1世紀末、宛先は小アジアの諸教会、そして執筆事情は2代目3代目キリスト者が増えてきたため、初代キリスト者たちが持っていた熱情が冷め、「霊的体力低下」が目立ってきたからと言えます。そこに入り込んできたのが偽教師たちでした。彼らが説いたのは①イエスが神の子であることの否定、②イエス・キリストが人となってこの世に来られたことの否定、③不品行の許容でした。著者は議論によって彼らを論破するのでなく、ただ真理を伝えます。「真理こそ、偽りの教えに対する最善の解答である」からです。「初めからあったもの」(v.1)を神の御子イエス・キリストと理解してよいでしょう。また、ヨハネの手紙一と関係の深いヨハネ伝1章14節での「言は肉となって、私たちの間に宿った」をイエス・キリストとして理解できるので、著者はイエスを「聞いて、見て、よく見て、触れた」のです。そのイエスをありのまま「証しし、告げ知らせた」(v.2)のです。この序文(1:1~4)は「初めからあったもの」が人間の歴史の中に「現われ」、私たちをその方との「交わり」に入れ、永遠における「喜び」の完成へと導く神を示しており、永遠から永遠に至る神の遠大な摂理を展望しているのです。その遠大な摂理の中に置かれていることを感謝し、その喜びに押し出されながら、主にお仕えする者とされて参りましょう。