<説教の要約>

「イエスのように愛す」

(レビ記19章17~18節、ヨハネの手紙一2章7~11節)

 

 互いに愛せない、憎んでいる。これがヨハネ教会の問題でした。しかし、それでよしとしていたのが偽教師たちでした。正にイエスが「白く塗った墓」と呼んだ偽善者です。彼らに倣ってはならない、倣うべきは「イエスが歩まれたように」(6節)だと著者は命じます。イエスの歩みとは愛の歩みです。著者はイエスに愛されていたことを知っていました。自身を「イエスの愛しておられた者」(ヨハネ13:23他)と呼んでいるほどです。イエスに愛されることによって愛する者とされていたのです。彼は自分が受けた愛を説いていきます。旧約にある「古い掟」としての愛は「神を愛す」(申命記6章5節)と「隣人を愛す」(レビ記19章18節)です。それにイエスは「敵を愛す」(マタイ5章44節)を加えました。そして、イエスが遺言のように「新しい掟」として残されたのが「わたし(イエス)があなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」(ヨハネ13章34節)でした。これらは信者たちが既に聞いていた「古い掟」です。しかし著者は「新しい掟」として語り直します。「互いに愛し合う」ことができないというヨハネ教会の問題を解決するには、古い言葉が新しい言葉として聞かれなければなりませんでした。それを可能にするのはただ聖霊によるのです。光にとどまりながら、聖霊の助けを頂き、互いに愛し合う。それによって私たちがイエスの弟子であることを皆が知る(ヨハネ13章34節)。これが教会のあるべき姿です。