<説教の要約>

西経堂伝道所牧師 西田恵一郎

「塵に口をつけよ」  

(哀歌3章28~33節、マタイによる福音書5章38~39節)

      

 旧約聖書に登場するイスラエルの民は、神に愛され、神から離れた人間を救う神の計画の為に特別に選ばれた民でした。しかし自分たちの思いの儘(まま)に進み、国の衰退と荒廃を招いてしまいます。哀歌はB.C.587年に起きたバビロニアによるユダの占領と都エルサレムの破壊を嘆いた歌です。その内容は民の経験した苦痛と没落の要因だった罪の告白です。民を「責め」(3節)、「骨を砕き」(4節)、「笑い物にした」(14節)のは「神」だと著者は言います。その結果、民は「平和を失い」、「幸福を忘れ」「栄光も希望を消えた」(17~18節)と嘆くのです。「しかし、そのこと   過去の苦難や困難   を心に思い返そう」(21節)と突然口調が変わります。私たちは過去を忘れようとします。しかし、それらがあったからこそ、待ち望めるものがあるのです。絶望の暗さを知る人ほど希望の明るさを感じ取ることができるのです。直後にもう一度「待ち望む」が繰り返されます。今度は「主を待ち望む」(24節)となっています。苦難を経て知った神は「慈しみ」と「憐れみ」と「真実」の神でした。苦難を負うことは「軛を負う」 (28節)と言えます。しかし、その軛をイエスが共に負っていて下さいます。だから「軛は負いやすく、荷は軽い」(マタイ11章28節)のです。苦難の時、「塵に口をつけ(ヘリ下り、神を主として受け入れ、従う)、主のもとへ帰り、神に手と心を上る」(29,40,41節)者でありましょう。主は「そばに来て、恐れるな」(57節)と言って下さいます。