<説教の要約>

「主にあって、強くなりなさい」

(歴代誌下6:19、エフェソの信徒への手紙6:10~24)

 

「最後に」(v.10)で始まる結論的勧めは「強くありなさい」です。受動態の「強くされなさい」の訳が分かり易いでしょう。その強さは「主にあって」つまり「主の中で、内に一緒に住み、内から」という一心同体の関係において神によってもたらされます。この強さが必要なのは、信仰生活が戦いだからです。それも悪魔(告発する者、非難する者、誘惑する者)との戦いだからです。そこに置かれたキリスト者が再度確認すべきは、1章にあるように私たちは前もって神に祝福され、選ばれ、愛された者であること、「神に愛された子ども」(5:1)であることです。従って、神が味方であり、神が戦ってくださるのです。しかし、油断・自己過信・無頓着・無知には注意しなさいとパウロは勧めるのです。この戦いに臨むに当たり、キリスト者が必要なのは既に神から与えられている6つの武具(真理・正義・福音・信仰・救い・聖霊=神の言葉)です。これらを知っているだけでは戦えません。鉤から手に取り、身に着けなければ。身に着けたとしても、まだ不十分です。7つ目の祈りが必要なのです。祈りがあってこそ、教会は完全武装が整うのです。6つの武具をまとめ、力を発揮させるのは祈りなのです。パウロは教会に「絶えず、霊によって」さらに執り成しの祈りを捧げるよう命じます。「現代の教会の危機は、聖職者に修行と祈りが足りないこと」と言った人がいます。当たり前なのですが、祈る教会、祈る牧師でありましょう。