<説教の要約>

「神に倣う者となる」

出エジプト記1956、エフェソ書515

 

「神に倣う」1節)の「倣う」は「応じる、一致する、従う」を意味します。道徳的に模範的人物になるというより、まず「神の招きに応え、神を信じ、神と一致し、神と共に歩み、神に従う」ことと理解できます。そのようなキリスト者の生き方が、「愛の内に歩む」2節)なのです。そのために必要なのが、「神に愛された子ども」1節)であるとの確信です。しかし、神の子として「神を悲しませない」420生き方を始めたために、直面する誘惑があります。当時、流行していた快楽主義の教えでした。パウロはその教えに対し「空しい言葉にだまされてはなりません」6節)と警告します。次に、キリスト者は『聖なる者』3節)だと言います。「聖なる」とは「取っておく」という意味で、旧約聖書では、イスラエル民族を「聖なる者=他の諸民族から分かたれた者」、神の救いの計画を実現するために選ばれた者と呼んでいます。キリスト者も同じ目的を託された者です。故に同様に避けられない困難が臨むのです。そのような困難や誘惑の中で神に「ふさわしい」生き方が求められます。その秘訣は「感謝の言葉を口にする」4節)にあります。「感謝する」は「礼拝する」ことです。すべてのことに感謝できなくとも、礼拝するのです。賛美し、信仰を告白し、祈る。更に、礼拝することは、この世だけではなく、永遠の事柄にも関係することです5節)。礼拝する。これが今を生き、また永遠に生きる秘訣なのです。