日本キリスト教会 西経堂教会 西田恵一郎牧師

 

No. 1   「人生100年時代における生き甲斐と死に甲斐の問題」

 

 「生き甲斐と死に甲斐のある生き方」   人生100年時代におけるひとつの死生観:奥村一郎神父の死生観をめぐって   。これは2019年9月に開講された「さがまちコンソ-シアム 市民大学 相模原・座間」註1)で私が担当した講座のタイトルです。当時、私はまだ和泉短期大学のチャプレン(学校付牧師)として働いていました。

 世間では「人生100年時代」が、かまびすしいと思われるほど話題となっていました。それに伴い「生き甲斐」という言葉にメディアなどを通して触れることが多くなっていました。勿論、現在も依然として重大な問題ではありますし、メディアが扱わなくなった訳ではありませんが…。

 タイトルを先に述べたようにしたのは、「生き甲斐」には時代の要求に応えようという意図があり、「死に甲斐」は奇をてらった訳ではなく、渡辺和子シスター註2)の著書からお借りしたものでした。「生」を扱うならば、「死」を扱うことは必然だからです。

 募集定員を過去の例に倣い20名と設定しました。ところが、募集を始めたところ、申込書者が40名を超えてしまったと担当者から連絡がありました。私としては想定外の申込者数でした。「牧師が語る死生観に一般市民の方たちは興味を持たないだろう」と踏んでいたからです。「何名まで受け入れてもらえますか?」との問い合わせに、「教室に収容できるだけ」とお答えしました。確保した教室の収容人数を勤務先の学校に確認すると、45名でした。最終的には41名の受講者を迎えて講座を開くことになりました。

 受講者の年齢別内訳は次の通りでした。30代 1名、50代 4名、60代 12名、70代 16名、80代以上 8名。全受講者41名中36名(87.8%)が60歳以上註3)、定年を過ぎた年齢です。人生100年を文字通り捉えるなら、未だ残されている数十年の時における「生き甲斐」を考える頃であり、また順番から言えば死に近いところを生きている訳で、「死に甲斐」というものがあるなら、それを知りたいというのがアンケートのコメントから推し量れる受講理由でした。

 本コラムでは、講座で紹介した内容をもう少し掘り下げて、紹介してみたいと思います。その内容の中心は奥村一郎神父註4)の死生観になりますが、私も二人の子どもを亡くした親として「事実によりて」(拙著のタイトル)、私が思う死生観を所々で紹介させて頂ければと願っています。

 

1. 長寿時代ゆえに求められる生き甲斐論

                

 まず、人生100年時代と言われるようになるまでの数的流れをグラフによって確認してみましょう。「厚生労働省のまとめによると、2018年9月15日時点の住民基本台帳に基づく100歳以上の高齢者の数が前年より2014人増加し、6万9785人となった。100歳以上人口の増加は48年連続。100歳以上人口は圧倒的に女性が多く、全体の88.1%を占めた。老人福祉法が制定された1963年には、100歳以上の高齢者は全国で153人だったが、81年に1000人を突破、98年に1万人を突破し、その後も右肩上がりに増え続けている」。1)

 前述した市民講座を受講した79歳の女性が、受講後のアンケート調査に対して次のようなコメントを残しています。「79歳にしてようやく少しですが、残された寿命を満足できるように生きたいと思いました」。老人福祉法が制定された1963年の平均寿命が男性 67.21歳、女性72.34歳2)であったので、単純にこの数字に従うなら、この女性がその時代に生存していた可能性は決して高くないことになります。しかし「人生100年時代」に生きる彼女は、この後もう20年ほど生きる時間が残されています。

 生き甲斐、死に甲斐の「甲斐」とは「動詞の連用形や名詞に付いて、『がい』の形で、~するだけの価値、~するにふさわしい効果などの意を表す。『甲斐』は当て字」3)と定義されていますが、この女性だけでなく、多くの高齢者たちが     勿論、高齢者だけではないのですが     「生きる価値」や「生きる効果」を考えざるを得ない時代に生きているのです。

 他の受講者たちの中には「もう少し若い時に受講すべき?既に高齢であり身近に死を感じているので、どう理解すべきか分からない」、「自分が死へ近づいている年齢になり、考える土台ができた」、「最近、身内を亡くしたため、一つひとつの言葉で救われました」というコメントがありました。また、「自分なりの生き死に、があって三人三様、皆それなりに考えていることが分かりました。でも考え方は変わります。そして後悔があります。それが人間だと思います」と答えた方もいました。人生100年時代という長寿時代は、人に  殊に高齢者に     生き甲斐について考えることを求めます。生き甲斐論を論じるためには、受講者の何人かが言及した「死」そして「人間」について考えることが要求されます。「死とは何か」「人間とは何か」について触れることから始めてまいりましょう。

 

 

 

【註】

註1)「さが」(相模原)、「まち」(町田)の頭文字を取った造語で、相模原市と町田市を拠点とする大学・専門学校・公共施設などで開かれる講座を受けることができる生涯教育プログラムの一環。

註2)1927年2月11日~2016年12月30日。キリスト教カトリック修道女。学校法人ノートルダム清心学園学長や理事長などを務めた。

註3)さがまちコンソーシアム事務局 市民大学担当によるデータ。

註4)  1923年~2014年6月4日。日本のカトリック教会の聖職者、カルメル会の修道司祭。旧制高等学校在学中より臨済宗の中川宗淵に師事。カトリックに改宗し、フランスのカルメル会に入会。1957年に司祭叙階。仏教との対話、執筆活動に従事。1979年からバチカン諸宗教対話評議会顧問神学者を務めた。

 

【引用文献】

1)「100歳以上人口の88%は女性!:48年連続増の6万9785人に」。Japan Data、社会。当該記事および表ともにhttps://www.nippon.com/jp/features/h00292より。

2)「日本人の平均寿命の推移 – SPIRIT」。https://www.rikkyo.ne.jp/web/ymatsumoto/statjpn/jpnlife1.pdfより。

3) 明鏡国語辞典第二版、大修館書店、2014年。