西経堂伝道所の歩み(その1)  長谷川保男 初代牧師

 

 当西経堂伝道所は、現主任者長谷川保男の開拓伝道によって開設された。その沿革は、今日まで3つの時期に大別される。

 

第1の時期 「集会所時代」 1959年(昭和34年)より1964年(同39年)に至る約5年間

第2の時期 「日本キリスト教団、西経堂伝道所時代」1964年(同39年)より1969年(同44年)に至る約5年間

第3の時期 「日本基督教会、西経堂伝道所時代」1970年(同45年)より現在に至る約17年間

 

(Ⅰ)

『集会所時代』

 1959年3月に東京神学大学を卒業した長谷川保男は、世田谷区船橋に居住する代田教会長老国吉政次郎の祈りと求めに応じて、開拓伝道をすべく当地に赴いた。身分上は代田教会伝道師であったが、援助は一切なく、すべて自給自足であった。近隣に部屋を借り、学習会(小中高校生)を開き自給しつつ、前記国吉宅の一室を集会所として伝道を開始した。

 日曜学校礼拝には常時10名を越える生徒の出席はあったが、大人の礼拝への出席は殆ど無く、時折代田教会関係者の出席があった状態が続いた。その中で、1962年に牧師の資格を取得した。

 この時代はいわば伝道所への準備のときであった。はじめに「祈り」だけがあり、他のすべては皆無、牧師自身の伝道への幻も持つことができなかった。このような、ひとりの信仰者もなく、教会的支援もなく、経済的援助もない伝道は無暴と言われても致し方がない。しかし、神が「祈り」おこしていたもうたことだけは、事実である。すべては「祈り」からおこされるからである。伝道所としての承認を得るまでには、5年を要した。

 この時代に多くの少年少女が育ったが教会的基盤がなかったので、彼らに洗礼を授けることができず、また、他教会員を受入れることもできなかった。いわば種まき以前の開墾時代であり、ただただ次の伝道所時代の種まきに備えたのである。

〈続〉

 

1987/04/19 『まじわり』 No.3 より