<説教の要約>

西経堂伝道所牧師 西田恵一郎

「イエスの正体」

(イザヤ書42章1~4節、マタイによる福音書17章1~8節)

           

 宗教と神秘は不可分です。しかし、行き過ぎると本質から逸れてしまいます。今朝の聖書箇所は確かに神秘的です。しかし、その中に人間の現実の世界に生きたイエス・キリストの「正体」を見ることができるのです。この箇所を含む16章13節から17章27節で一貫して扱われているテーマは「イエスとは何者か」です。また、この箇所は「(イエスは)殺されるが、三日目に復活する」という受難予告により枠づけされています。この受難予告が成就することにより「イエスはメシア、生ける神の子」(16章16節)であることが明らかにされます。それに先駆けて、旧約聖書の代表者モーセとエリヤの登場と神自身の「これは私の愛する子、私の心に適う者。これに聞け」(5節)の言葉によりイエスが救い主・神の子であることが保証されました。イエスに随伴していたペトロは、その神秘に留まることを願いましたが、イエスはあえて現実の世界へ降りて行かれました。人間の苦悩、重荷、罪と連帯し、苦難と死を味わう道を選ばれたのです。そして、それこそが真のメシア(救い主)の姿でした。神の声を聞いた弟子たちは恐れました。しかし「イエスは近寄り、彼らに手を触れて言われた。『立ち上がりなさい。恐れることはない』」(7節)とおっしゃって下さいました。イエスは言葉だけでなく、行為で愛を示して下さったのです。このような救い主は他にはいません。これ(イエス)に聞いて、信じ、従う者とさせて頂きましょう。