<説教の要約>

西経堂伝道所牧師 西田恵一郎 

「私のところに来させなさい」

  (詩編8編2~3節、マルコによる福音書10章13~16節)

           

 人々はイエスの許に「こどもたち(乳飲み子までも)連れて来」(13節)ました。目的は「イエスに触れていただくため」(13節)  ご利益のため  でした。彼らを止めようとした弟子たちに対してイエスは「憤り」、 「子どもたちを来させなさい」(14節)と言われました。憤りの理由は、当時、人としてみなされていなかった子どももイエスにとっては主の許に招かれるべき大切な人格ある存在、それも依存することしかできない存在だったからです。「神の国」は自力で獲得するものでなく、「子どものように受け入れる」(15節)ことでしか入れないことをイエスは弟子たちに教えたのです。更に、すべての人が神の国に招かれていることをイエスは伝えようとしました。子どもは大人に連れられてしか、イエスの許に来ることはできなのですから。憤りのもうひとつの理由は、弟子たちに芽生えていた権力欲、出世欲に対してです。彼らは自分たちを一角の者、仕える者でなく、命じて、従わせる者になりつつあったのです。「神の国」とは「神の支配」の下で、神に守られながら僕として生きる世界です。「自力で」とか「権力によって」などは神の国に入ることの障害物以外の何物でもないのです。すべての人に開かれ、すべての人が招かれている「神の国」に入るのは努力や権力によってではなく、イエスを通して表された神の愛を乳飲み子のようにただ受けることによるのです。ただ愛して頂けばよいのです。これが唯一の道なのです。