<説教の要約>

「確信をもって、堂々と神に近づく」(イザヤ411315、エフェソ3113

 

115節から始まり、414節から再開されるパウロの祈りが中断されたかのように映る3113節をパウロの「大脱線」と呼んだ学者がいます。しかし、パウロはこの部分で、何としても確認しておきたかったことを述べているのです。彼の自己認識を通して、それが行われています。生涯変わることのなかった彼の自己認識は、「キリストの迫害者」です。迫害者が「宣教者」にされたことに対する神の恵みと力の偉大さを再確認したかったのです。「迫害者」という自己認識に根ざした更に具体的な自己認識が①「囚人」1節)、②「使徒」5節)、③「預言者」5節)、④「福音に仕える者」7節)、⑤「最も小さな者」8節)でした。これらの表現を通して、神の愛・恵み・力の広さ、大きさ、深さなどをもう一度知って欲しかったのです。「こんな者が、今は宣教者とされている。何と感謝なことか! その福音が、今はあなたがた教会に託されているのです。何という光栄でしょう!主は私と共に居られたように、あなたがたと共におられます。信頼して、堂々と神に近づき、神の業に励みなさい。体験者である私が証言するのです。だから、大丈夫。堂々と神に近づきなさい。さあ、祈りに戻ろうか…」。そのようなパウロの声が聞こえてくるように思えます。