<説教の要約>

西経堂伝道所牧師 西田恵一郎 

「本物であることのしるし」 

  (レビ記19章17~18節、ヨハネの手紙一4章7~12節)

           

 ギリシア語では「愛」を4つの単語で使い分けています。聖書で用いられているのは「アガペー」で、神の愛、自分を捨てて他者に向かう思いです。「相手の幸せを創造する力」(トマス・アクィナス)と定義できます。パウロが福音を伝える理由について「そうせずにはいられない」(Ⅰコリント9:16)と言ったことに繋がるでしょう。この愛は「神から出るもの」(4:7)で、「神から生まれ、神を知っている」(4:7)者に与えられます。神は、その愛を「独り子を世に遣わした」(4:9)ことによって表現され、その結果「私たちが生きるようになった」(4:9)のです。この愛を授かったキリスト者は同じように周りの者を生かす者とされるのです。この愛を体験したのが初代教会の人たちでした。「アガペー」は他の3つの語に比べて、一般受けしない言葉でした。それは「(キリストは)ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなもの」(Ⅰコリント1:22~23)と共通しています。キリストと同様、彼が説いた「アガペー」も「つまずき」であり「愚か」でした。私たちもそのように感じていました。しかし、「召された(神の招きに応えた)」(Ⅰコリント1:24)私たちには「十字架につけられたキリスト   またその愛」は「神の力、神の知恵」なのです。「信仰と愛とを切り離すことは、太陽から熱を奪うようなものである」。このキリストを信じ、この方の愛によって互いに愛し合う私たち、また教会でありたいと願うものであります。それが本物のしるしなのですから。