<説教の要約>

西経堂伝道所牧師 西田恵一郎

「愛は死んでもいいということ」

(ホセア書14章5~8節、ローマの信徒への手紙5章8~11節)

 

 「義とされた」(1節)とは「神の前で正しいとされた」「神との関係が回復した」ということです。「神との平和を得た」また「恵み(平和・愛・真に満ちた状態)に導き入れられた」(2節)とも表現できます。「された」のですから、それは自力で成し遂げたのでありません。神によって信仰(イエス・キリストを救い主として信頼すること)を通して成し遂げられるのです。その業がパウロ自身に完遂された故に「栄光(神・救い・キリスト)にあずかる希望を誇り(喜び)にしている」と彼は言うのです。パウロがかつて持っていた「誇り」は自身の家系や学歴・職歴、道徳面での正しさでした。しかし、キリストを知った今、彼の誇り(喜び)は「神」(11節)であり、神を信じることから来る「苦難」(3節)でさえありました。なぜなら、神に在る自分には「苦難が忍耐を生み、忍耐が品格を、品格が希望を生むことを知っているからです。この希望が失望に終わることはありません」(4節)と確信していたからです。その確信は「私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです」(5節)から生れたもので、その愛は「私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより」(8節)示された程深い愛でした。「死んでもいいというほど」の愛で愛されている私たち、「神を誇り」とする新しい誇りに生きる者とさせて頂きましょう。