<説教の要約> 

「すべては神の栄光のために」

(歴代誌下6章17~20節、コリントの信徒への手紙一10章31節〜11章1節)

           

 中世末期のヨーロッパは陰鬱の時代にありました。主な原因はペストの流行と教会の弱体化でした。救いを求められても教会は応えられないばかりか免罪符の販売を打ち出しました。金さえ払えば罪が赦されるというのです。1517年10月31日、修道士であり神学教授であったマルティン・ルターは「95ヶ条の提題」を張り出し、話し合いを求めました。パウロ研究の中で神の義・心の平安は信仰によってのみ受け取ることを自身の罪との闘いを通して体得していたからです。教会側は提案を受け入れないばかりか、彼を排除しようとしました。ここから宗教改革が始まったのです。宗教改革の原則は3つ(聖書のみ・キリストのみ・万人祭司)あります。「聖書のみ」「信仰のみ」「恵みのみ」「キリストのみ」「神の栄光のみ」の5つとする場合もあります。これらを結び合わせるのが「キリストのみ」の原則です。キリストのみが救い主、キリストのみが教会の頭なのです。この真理を知った彼にとって生きる目的は唯一つ、「神の栄光のみ」以外にありませんでした。ウェストミンスター小教理問答書では、「人の主な目的」を「神の栄光を現し、永遠に神を喜ぶこと」と表現しています。「栄光」とは神ご自身の事です。神を「はっきりと観察出来る形で、表に表す」のが人の目的です。「何をするにも、すべて神の栄光を現すためにしなさい」とパウロは命じます。これはルターそしてすべてのキリスト者共通のものなのです。