<説教の要約>

「古き人を脱ぎ捨て、新しき人を着る」

(ゼカリヤ書81617、エフェソ42232

 

パウロは人を「外なる人」(肉体)と「内なる人」(霊)に分け(Ⅱコリント416、エフェソ書では「内なる人」を更に「古い人」と「新しい人」に分けています。洗礼を境に「古い人」は「新しい人」にされます。洗礼前の「古い人」の特徴は17節以降に一覧表のように記されている「空しい考え」「闇」「無知」「かたくな」などです。これらを衣服の着脱にたとえて、「脱ぎ捨てなさい」22節)と命じます。25節以降では「新しい人」の特徴が列記されています。「真実を語る」「怒りを制する」などです。次から次へと道徳的な言葉が登場するので、息が詰まるような感じを受けるかもしれません。この徳や逆に悪徳の一覧表のようなものの中で異彩を放つのが「神の聖霊を悲しませてはならない」30節)です。神は悲しむ神であり、また喜ぶ神なのです。人が悪徳に浸るのを見ると神は傷つくのです。心が痛むのです。一方、聖霊の別名は「喜びの霊」ですから、人が互いに徳に満ちて生きているのを見て聖霊は喜ぶのです。従って、キリスト者にとっての道徳的基準は「何が正しいか、正しくないか」というより、むしろ「何が神を喜ばせ、何が神を悲しませるか」であると言えるのです。しかし、人は自分で自分を新しくすることができません。そこで、慰めとなるのが23節です。「心の霊において新たにされ」は受動態、つまり神がしてくださるということなのです。その神を信じて、新しくされましょう。