<説教の要約> 

西経堂伝道所牧師 西田恵一郎

「心の貧しい人々、悲しむ人々は幸いか」

(詩編56編9〜12節、マタイによる福音書5章1〜4節)

           

 山上の説教でイエスは幸いな人とはどういう人かを弟子たちと群衆(信者と未信者に、と言えるでしょう)に語り聞かせます。まず、幸いな人とは「心の貧しい人々」(3節)   自分の無力さを知り、ひたすら神により頼む人   です。「天の国」(将来的な意味では、死後に行く天国。現在的な意味では、神によって支配され、導かれ、守られる生活)が彼らのものとなるのです。次に「悲しむ人々」(4節)   罪(神から離れたこと)から生まれる自己中心な自分に絶望し悲しむ人   です。しかし、悲しみが幸いなはずがありません。ここでの意味は、3節「心の貧しい」が土台となっているので、「心が貧しい人々で、悲しむ人々」ということになります。「心の貧しい人々」は、悲しみを真っ先に神に持って行きます。そして、率直に悲しみ、嘆き、涙を流します。流した涙は「(神の)皮袋に蓄え」(詩編56編9節)られると約束されています。過去に流した涙、今、流している涙、そして、これから流す涙のすべてを神はご存知で覚えていてくださるのです。そして、慰められるだけでなく、涙の量に応じて、神に祈られ、託された計画を成し遂げるために力づけられ、神の心を伝える者とされるのです。悲しむ者は幸いか? そうとは言えません。しかし、「心貧しく、悲しむ者」は神に在って幸いな者です。この新しい価値観・人生観は常識を超えた価値観・人生観と言えます。それは現在の価値観・人生観の見直しから始まります。