<説教の要約>

西経堂伝道所牧師 西田恵一郎

「救いを待ち望んでいる人々に」 

  (ダニエル書7章13~14節、ルカによる福音書2章36~38節)

           

授かった赤子(イエス)が「異邦人—すべての人—を照らす啓示の光(救い)」(32節)であるとのシメオンの言葉を聞いたヨセフとマリアが「驚いた」(33節)のも当然です。これまでにマリアは2度(ルカ1章35節,43節)、ヨセフは1度(マタイ1章21節)、夫婦で1度(ルカ2章11節) 、この赤子が神の子主メシア(救い主)であると告げられています。しかし、その意味が分かるのは「神の霊」によるしかありません。その時までマリアのように「心に留める(宝のように大切にする)」(ルカ2章19節)ことを忘れてはなりません。シメオンはこの夫婦を祝福します(ルカ2章34節)。しかし、シメオンの「祝福」の言葉は、イエスが人の内側の本質を暴き、生きるか死ぬか、立つか倒れるかの大きな決断を迫る者となることを予告するものでした。イエスがこの役割を担うことは「定められている(神の御心)」(34節)もので、神による人類救済の計画は、各自の決断次第では滅びを選ぶことにもなり得るのです。ここで喜びによって綴られてきたイエスの誕生物語の中に初めて「悲しみの調べ」が導入されます。苦難の道を歩むイエスの傍で生きるマリアは「剣が魂を刺し貫く」(35節)経験を余儀なくされるのです。私たちも「キリストを信じるだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられている」(フィリピ書1章29節)のです。これを「アーメン」と受け取る者として頂きましょう。