<説教の要約>

「御父と世との比較」

(詩編119編165~167節、ヨハネの手紙一2章12~17節)

 

 著者は信者たちの肯定的な面に目を向けて、称賛することで信仰を強固にし、押し寄せてくる誘惑に備えさせています。世代ごとの称賛の言葉は年齢別ではなく、信仰の成長度合いによるものです。「子たち」はキリストによって新しく生まれた人、「若者たち」は強くされ、悪い者に打ち勝った人、「父たち」は信仰において円熟している人といえます。注目すべきは「赦された」「知った」「勝った」という表現がすべて完了形であることです。どれもすべて既に成し遂げられている故に、神に感謝しつつ、その業を続けて下さる神に信頼して、先に進もうと励ますのです。そこに立ちはだかるのが「世」(15~17節)と「この世の支配者(悪魔)」(ヨハネ12章31節)です。著者は「世も世にあるものも、愛してはなりません」(15節)と命じます。「心を据えるな」(新英語聖書訳)となっており、「この世に心を定着させてはならない」という意味です。キリスト者が愛すべきは「御父と御子イエス・キリストと私たちの交わり」(1章3節) の中にあるお互いです。その交わりに心を定着させなければなりません。それが「神の御心」(17節)です。そして、誘惑や戦いの中においても、「永遠にとどまる(生き続ける)」(17節)のです。誘惑や苦難は試練として神に用いられます。それは信仰の純化のためです。「子たち、若者たち、父たち」にも試練がありました。それは信仰が純化され、次の成長へ上るためのです。それを信じて、前へ進みましょう。