<説教の要約>

 西経堂伝道所牧師 西田恵一郎

「キリストに倣いて」 

  (詩編91編1~2節、ヨハネの手紙一4章13~16節)

           

 「互いに愛し合う」がこの手紙の勧めです。それも「イエスが愛したように」。その愛はアガペー(神の愛、相手の幸せを創造する力、死んでもいいと言うこと)と呼ばれ、多くの人にとってイエスがそうであったように「つまずかせるもの」「愚かなもの」(Ⅰコリント1章23節)でした。その理由は「できない」からです。しかし、それに続いて「なぜならば、生まれつき、神と人とを憎む傾向にあるからです」(ハイデルベルク信仰問答問5)。「できない」と認めても、愛の反対とも言える「憎む」傾向があることを認めるのは困難です。自分をそれ程まで悪い人間と思っていないからです。しかし、最初の人であるアダムとエバの謀反以来、神と人との関係は崩壊し、この時アガペーを失い、罪を犯す傾向をすべての人は引き継いでしまったのです。しかし「互いに愛し合う」ことは神の御心です。それを可能にするために、愛なる神は愛そのものである御子イエス・キリストを世に送りました。そして、憎む傾向があることを認め、愛であるイエスを受け入れる者を赦し、愛す者へと変えて下さる道を拓かれました。その時から「私たちが神の内にとどまり、神が私たちの内にとどまる」(4章13節)という相互内住が始まったのです。「とどまる」(4章13節他)とは「永住する、親しい関係にある」という意味です。その関係はブドウの木と枝の喩が語る通りです。礼拝や祈りを通して主に「とどまり」、「互いに愛し合う」を実践する教会として頂きましょう。