<説教の要約>
西経堂伝道所牧師 西田恵一郎

「永遠の命とは神との交わり」

(民数記15章27~31節、ヨハネの手紙一5章13~17節)

           

 ヨハネ福音書と第一書簡の執筆目的には連続性があります。イエスの福音を「聞く」⇒「信じる」⇒「永遠の命(=神と共に生きる命)を得る」⇒「永遠の命を(体験的に)知る」。「知る」は「味わう」と表現できます。味わいの一つが祈りは聞かれるという「確信」(14節)です。その確信に「神の御心に適うことを願うなら」という制限が付くのは当然と言えます。なぜなら、祈りは神を思い通りに動かす手段ではなく、神との親密な交わりだからです。「御心のまま」(ルカ22章、マタイ26章)と祈ったイエスは御心を知った上で、神との交わりに身を置いたのです。そこにあったのは父なる神への信頼です。「祈りは魂の呼吸」「祈りは神との対話」「祈りは神との親しい友としての交わり」と言うように祈りの根底にあるのは交わりです。殊に「対話」という場合、聞くことが無ければ対話は成り立ちません。しかし、私たちは話すことに終始していないでしょうか。「聞く」には「注意深く耳を傾ける」、「心に留める」(ルカ2章8~19節)、「聞き分ける」(ヨハネ10章27節)、「従う」(ヨハネ10章)、「手入れ(剪定)する」(ヨハネ15章2~3節)の意味があります。それはすべて「永遠の命」を味わうため、そして「もっと豊かに実を結ぶように」なるためです。祈りの要素の一つである「祈願」はイエスにとっては専ら「執り成し」でした。誰が「死に至らない罪」「死に至る罪」(16~17節)を犯したかを決めることではなく、彼らのために執り成すことが「永遠の命」を得た者の務めです。