<説教の要約>

西経堂伝道所牧師 西田恵一郎 

「みどりごとして来られた救い主」 

  (イザヤ書9章5~6節、ルカによる福音書2章1~7節)

           

 この福音書の「実現した事柄」(1章1節)はイエスの出来事が既に実現した事実であることを示しています。そして、それを記し、確実にするのが本書の目的です。神の周到な計画の下で進められた割には(1章参照)、救い主の誕生の描写は簡潔過ぎるとも思えます。住民登録のために戻ったベツレヘムの家畜小屋で年若く、貧しい夫婦に一人のみどりごが生まれ、彼は飼葉桶に寝かされた。これだけのことです。ただ「家畜小屋」が暗く、汚れたこの世を、そして「飼葉桶」が冷淡で頑なな人間の心を象徴するものと知った時、あえてそのような環境に神の御子を人として生まれさせた神の御心と御計画が見えてくるでしょう。「なぜ、神はそこまでなさったのか?」、「(神の)愛がそうさせた」のです。ある村で行われた聖誕劇で、一人の男の子が宿屋の主人になりました。セリフは長旅で疲れ切ったヨセフたちに「だめだ。部屋がない」。そして家畜小屋を指差すのです。無事にやり遂げた直後、彼は「行かないで。寒くてイエス様が風邪を引いちゃう。僕の部屋においで」とマリアにしがみついたのです。史実が彼の現実になっていたのです。信仰とは過去の事実を、今の自分の事実として再現する力です。ルカが記した「実現した事柄」が「確実なもの」として、私たちにも再現されるのです。イエスは2000年前に生まれた一人のユダヤ人、それとも私の罪の救い主…。その分かれ目は「ヨセフさん行かないで!」の一言なのです。