<説教の要約>

 西経堂伝道所牧師 西田恵一郎

 「優しさを取り戻すため」

(イザヤ書53章1~10節、テサロニケの信徒への手紙一2章13~16節)

 

 テサロニケ(現・ギリシア)の人々は初めて聞いたパウロたちによる言葉を「神の言葉として受け入れ」(13節)ました。「神の言葉」をパウロは「福音」(Ⅰコリント15章1節)と表現していますが、イエス・キリストの死と復活の事実を内容とした言葉です。この事実を受け入れる時、人の罪は赦され、神との関係(交わり)を回復し、神の子として生きるようにして頂くのです。この福音(神の言葉)は創作ではなく、パウロ自身も先達たちから受けたものです。福音宣教は「告げ知らされ」⇒「聞かれ」⇒「受け入れられる」というサイクルの中で進んでいる神の業なのです。この福音を受け入れる時、人の心は動く(感動)だけでなく、行いも動く(行動)のです。テサロニケの人々は「苦難の中」(1章6節)に置かれたにも拘らず、喜びをもって新しい生活を始めていました。それを可能にさせたのは、神の霊(聖霊)です。神の言葉を神の言葉として聞く人の特徴は聖霊による喜びと神を喜ばせる生き方です。一方、神の言葉を人の言葉としてしか聞かない人の特徴は「罪を満たす」(16節)   ー 罪を完成する ー   ことです。キリスト者にとって、彼らによる苦難が避けられない場合もあります。「しかし、勇気を出しなさい。私はすでに世に勝っている」(ヨハネ16書33節)と言われる方の霊が常に共にあるのですから。