<説教の要約>

 西経堂伝道所牧師 西田恵一郎

 「神に喜んでいただくため」     

(詩編37編21~24節、テサロニケの信徒への手紙 一 2章1~12節)

 

 パウロの敵対者たちは、当時、金銭や権力を目的として巡回していた教師たちとパウロを同等に置くことで、彼の失墜を図ります。パウロはテサロニケの信徒たちに真実   宣教の動機や目的に関して巡回教師たちとは全く異なること   を伝えます(3~6節)。また、「幼子と母親」(7節)「父親」(11節)を例に、信徒たちに対する自らの立場を描写します。幼子のような純粋性と母親のような優しさをもって接したということです。そして父親として慰めを語る役割においては、「宣教」(3節)も「励まし、勧め」(12節)も「慰め」(12節)と訳せる言葉であることから、彼自身の言葉や行為そのものが「慈しみと慰めに満ちた神」(Ⅱコリント1章3節)の「慰め」の反映であることを伝えます。そして、「慰め“comfort”」が「強さ」と「砦」という「力」を意味する言葉であることから、彼の慰めの言葉が「気休め」でなく、力の源である聖霊に与る道であることを伝えます。外面的には巡回教師たちと同じように映っていたかもしれないパウロたちの宣教は根本的に違っていたのです。パウロたちの宣教は「人に喜ばれるためではなく、私たちの心を吟味される神に喜んでいただくため」(4節)が根底にありました。純粋性も優しさも言葉や業における力も秘訣は「神に喜んでいただくため」の心にあるのです。