<説教の要約>

西経堂伝道所牧師 西田恵一郎  

「霊の人としての歩み」  

(イザヤ書28章14~18節、ガラテヤの信徒への手紙6章1~10節)

 

 霊性  「霊によって生き、霊によって進む」(5章25節)  の深さは「自分ではなく、神の栄光を表す」また「互いの徳を高める」ことで測られるのです。いわゆる神秘体験の多さではなく、人間関係における成熟度において測られる一面があると言えます。パウロは「第三の天にまで引き上げられた」(Ⅱコリント12章2節)神秘体験でなく、自分の「弱さ」を誇ると言っています。「霊の人」(6章1節)とは「過ちに陥った」(1節) 人を「柔和な心で正し…、自身も誘惑されないように、自分に気をつけ…、互いに重荷を担」う人のことです。「正す」は「癒す、回復させる」という訳もあり、「一緒に行う」という意味合いが強い言葉です。「互いに重荷を担う」も同様です。これが「キリストの律法(愛の律法)を全うする」(2節)ことなのです。「柔和」は「卑しい奴隷状態にあること」を意味しますから、「何者かである」(3節)と思わず、僕として「正す」のです。同時に「自分の荷を負う」(5節)ことも怠ってはなりません。「人生はソロであり、コーラスでもある」のです。人は傲慢に対して自分を見つめる吟味の眼、周りに対して無関心や裁きに向かわないよう警戒する眼、そして恵みにより私たちを「霊の人」として下さった神に感謝と賛美を捧げる信仰の眼が必要です。それを祈り求めつつ、歩みを続けましょう。