<説教の要約>

西経堂伝道所牧師 西田恵一郎

「キリスト者の自由」 

(創世記21章8~21節、ガラテヤの信徒への手紙4章21節~5章1節)

 

 パウロは彼の邪魔をしていたユダヤ主義的キリスト者教師に対して彼らに馴染み深い旧約聖書の話をします。これが「語調を変えて話した」(20節)ということです。歩み寄ったと言えます。「神の言葉を対話的・個人的・生活的・歴史的に語るのが説教」(加藤常昭)ですが、「歴史的」に語ったということです。ユダヤ人なら知らない人は居ないアブラハムの話です。神は彼と「二つの契約」(24節)を結ばれました。女奴隷ハガルの子による奴隷となる契約と正妻サラによる自由な身となる契約です。ユダヤ人たちは後者であることを誇っていました。しかし、相続権のために様々な画策をしたのはサラで、アブラハムもそれを認めました。「義人は居ない、一人もいない」(ロマ3章10節)は2人にも当てはまっていたのです。問題は罪(自己中心性)なのです。サラに追い出され、死を覚悟したハガルとその子を救ったのは「恐れるな」と声を掛けた神でした(創世記21章)。律法の有無、血筋の良し悪しが人を自由にするのではないのです。罪からの自由は憐みに富む神から送られた救い主キリストによるしか得られないのです。この方を信じ、自由を与えられた者として、欲に戻らず感謝しつつ主に仕える生活を続けましょう