<説教の要約>
「光の子として歩みなさい」
(イザヤ書60:1~2、エフェソ書5:6~20)
キリスト者は「光の子」です。闇から光へ移されたという活動領域が変えられたということだけでなく、闇だったが光になったというふうに、存在自体が変えられたのです。かつては闇だったので、私たちから放出されていたのは闇の特性である悪意や偽りや嫉妬などでした。そして周りを闇にしていました。しかし、「主イエスにあって」(8節)光とされてからは、光の特性である「善、義、真理」(9節)が放出され、周りを光とするようになりました。「光の子」とされたキリスト者は、自分が光であるキリストに照らされ、罪を知り、悔い改めて光の子とされたように、他の人たちにキリストの光を照らし、光へ導きます。同時に、光は光合成で知られるように、周りに命をもたらします。しかし、私たちは光源ではありません。光源は神にのみ属しています。私たちは月が太陽の光を反射して輝くように、神の光を輝かせるだけなのです。ただ、より明るく神の光を輝かせるために自分を磨くことはできます。そのために必要なのが「神の聖霊を悲しませてはなりません」(4:30)、「主に喜ばれるものが何かを吟味しなさい」(5:10)、「主の御心が何かを悟りなさい」(5:17)、そして5章4,20節で繰り返されている「感謝しなさい」つまり「礼拝しなさい」なのです。4~5章で羅列されてきた道徳を完成するものも実は霊なのです。聖霊に導かれ、従いつつ、より強く光を輝かせる「光の子」とされてまいりましょう。