<説教の要約>

 西経堂伝道所牧師 西田恵一郎

「愛の実践を伴う信仰」 

(詩編34211節、ガラテヤの信徒への手紙526節)

 

キリスト者は過去  律法や「神ではない神々」(48節)への隷属など  からイエス・キリストを信じる信仰によって自由にされました。信仰だけでは不十分という間違った教えをする教師たちが居る中で、パウロは、この信仰に「しっかりと立つ」(51)  自分に向いている目をキリストに向けることと、「霊により、信仰に基づいて義とされる希望を、心から待ち望む」(5)こと  ように勧めます。この「希望」は主が再び来られた時、信仰が完成される希望です。その時まで罪を告白し、主への信頼と依存を確認し、幼子のように神に近づく私たちの営みが「主を待ち望む」です。「待ち望む」行為は静的行為ではなく、動的行為を生み出すための積極的行為です。そして、この行為が「愛の実践」(6)に繋がって行くのです。愛の実践(愛の業・善い行い)によって人が義とされるのではないことが、ここでも確認されています。過去から自由にされたキリスト者にとって、生活の規範は聖霊の勧めに従うことで、その勧めは愛の実践にほかなりません。聖霊に助けられながら「しっかりと立ち」「主を待ち望む」ことを忘れず、「自分の救いを達成するように努める」(フィリピ213節)者でありたいものです。