<説教の要約>

西経堂伝道所牧師 西田恵一郎

「約束と律法」

(出エジプト記12章40~41節、ガラテヤの信徒への手紙3章15~29節)

 

 前段落で述べた信仰義認をパウロは「人間の例をとって(分かり易く)」(15節)説明します。その例が遺言です。人による遺言でさえ絶対不変であるなら、神によるそれ   遺言でなく約束ですが   は言わずもがなです。神はアブラハムに祝福の約束をなさいました。それは「神の自発的・一方的・先行的」働きでした。アブラハムに求められたのは信仰(信頼=信じ切り、頼りきり、委ね切ること)だけでした。この信仰により彼は「義とされ」(神との正しい関係に入る)ました。「義人」とされた後も失敗を繰り返す彼は、しかし「祭壇を築き」「神の名を呼び」「執り成す」(=礼拝する)ことは決して止めませんでした。それから430年後、十戒(律法)が与えられます。このように、先に信仰があり、その後に律法が来た事を忘れてはなりません。律法は「(人)をキリストに導く養育係」(24節)です。律法は私たちの中にある罪の存在に気付かせ、私たちをキリストまで導きます。しかし、罪から解放するのはキリストです。独り子さえ惜しまず、私たちに下さった愛と憐みに富む、父なる神に信頼し切ってその御子を受け入れる。これが唯一私たちのできることなのです。その時、私たちも「神の子、相続人」(26,29節)とされるのです。