<説教の要約>

西経堂伝道所牧師 西田恵一郎

「十字架につけられたキリスト」

(創世記12章1~3節、ガラテヤの信徒への手紙3章1~14節)

 

 パウロは「十字架につけられ」(1節)、復活されたキリストを「はっきりと示し」(1節)   原語では「プラカードに大きく書き記した」という意味   ました。しかし、一度はキリストを信じたにも拘らず、パウロの邪魔を始めたユダヤ人教師たちは「キリストプラス律法(善い行い)」というプラカードを掲げたのです。そのプラカードについて行ったガラテヤの信徒たちをパウロは「愚かな」(1節,3節)   本来のものを見通すことができない。本来知らなければいけないことをわきまえなくなっていること   と呼んだのです。恥と呪いの象徴である十字架こそキリスト者の信仰の土台、つまり「本来知らなければいけないこと」なのです。「あれほどのこと」(4節)   その十字架にかかり、信じる者を罪無き者として生かして下さっていること   を体験したのに、なぜ逸れたのか…。それがパウロの怒りまた悲しみでした。十字架のイエスに対する信仰には実が伴います。その実が律法の遵守(御心の実践)です。礼拝において「十字架につけられたイエス」のプラカードを見続け、本来のものを見通し、知り、また実を結ぶ者として頂きましょう。