<説教の要約>

西経堂伝道所牧師 西田恵一郎

「悲しみから生まれる使命」

(詩編23編1~6節、ヨハネによる福音書21章15~19節)

 

 イエスはペトロに3度「あなたは私を愛しているか?」と訊きます。ペトロは「私があなたを愛していることは、あなたがご存知です」と答えます。愛してはいる。しかし、その愛の土台は自分でなく、イエスなのです。ペテロは命懸けでイエスに従うと豪語した直後に3度「イエスなど知らぬ」と否定しました。イエスは彼に過去の自分と対峙させたのです。過去を無かったことにし、現実に目を伏せては真実の癒しは起こりません。それを主はご存知でした。自分が何を言おうと、その言葉が当てにならないことをペトロは知らされていた。愛したい、確かに愛してはいる。しかし、そんなことはもう言えない。ペトロはボロボロでした。そんな彼に主はおっしゃいました、「私の羊を飼いなさい」(15,16,17節)と。主と同じ羊飼い(詩編23編、ヨハネ10章11節参照)となりなさい、ということです。実は、これこそ神が最初からペトロに対して持たれていたご計画でした。召命の時、彼には新しい名前「ケファ(岩)」(1章42節)が与えられていました。神は彼を教会の指導者とする準備をなさっていたのです。愛が悲しみを湛えた愛でない限り、「私に従いなさい」(19節)という神から託された使命の道は進まないのです。