<説教の要約>
「わたしの成長は何のため」( 詩編68:19~20、エフェソ4:7~16)
学校で生徒たちは「みんな一緒の原則」と「一人一人の原則」の下で生活していると言います(苅谷 剛彦)。前者の目的は「一致」を生み出すことであり、そのために行う活動は、教会に当てはめるなら、礼拝を始めとした諸集会でしょう。教会の独自性は、その「一致」は聖霊によって生み出されるものであるということです。ヘブライ書は、その集まりをやめてはならないと戒めます。7節からは後者の原則へ話が移ります。そこでパウロが語るのは、個々への賜物付与と個人的成長です。そして、それらの普遍性です。詩編68:19を引用することで、悪魔を打ち滅ぼしたイエスは凱旋将軍が戦利品を家来に分け与えるように、私たちに聖霊の賜物を与えてくださいます。そればかりか、私たちは「家来」ではなく、「神の子」とされており、「アッバ」(お父ちゃん)と神を呼ぶことが許されているのです。
一人一人に与えられている賜物は「キリストの秤」(7節)によるものです。自分の好み通りでないかもしれません。しかし、私たちを愛し、熟知している方からのものですから、それぞれにとって量的にも質的にもふさわしい(丁度良い)ものなのです(マタイ25:14~30参照)。11節では教職者たちの役割分担が説かれ、12節以降で信徒の個人的成長が説明されながら、全体の一致との関わりが勧められています。教会の一致と信徒の個人的成長は同時進行しています。これらを「愛の内」(16節)で進めてまいりましょう。