<説教の要約>
説教者 西田恵一郎 牧師
「イエスの涙の意味」(ゼカリヤ書9:9~10、ルカ19:28~44)
やがて滅びてしまうエルサレムを臨みながら流されたイエスの涙は罪への怒りとその罪に陥ってしまった人への憐れみからでした。滅亡(A.D.70年)をもたらした原因は罪でした。イエスはその罪との最終決戦に臨もうとしておられたのです。入城するためのろばを弟子たちに用意させた時に用いた「主」(v.31)という言葉には絶対的な主・王という意味があり、このような使い方をイエスがなされたのは、この箇所においてだけです。イエスは、このような主として入城されようとしていたのです。しかし、それは「ろば」が象徴するような平和の主、そして、ご自分の命と引き換えに人を救う苦難の僕としての主でした。弟子たちは賛美でイエスを迎えました(v.35,36)。しかし、指導者たちは弟子たちを黙らせようとしました。私たちはイエスをどのようにお迎えしているのでしょうか…。ある人が「信仰を持つということは、自分の生活の中における主権交代が起こること」と言いました。「神を神として礼拝させない」ところの罪を処分し、罪から解放してくださるイエスを主また王としてお迎えする私たちでありたいものです。イエスの涙を思いつつ、受難週を過ごしてまいりましょう。