<説教の要約>

西経堂伝道所牧師 西田恵一郎

「救 世 主」

(イザヤ書9章1~6節、マタイによる福音書1章18~25節)

 

 ユダヤの結婚には婚約・許婚(いいなずけ)・結婚式の3段階があり、ヨセフとマリアは1年間の許婚の段階にありました。この段階は法的・対外的には婚姻関係に等しく、解消するためには離婚するしかありませんでした。この時期での妊娠は強姦、不倫、婚前交渉のいずれかの可能性しかなかったので、ヨセフとマリアのことではないにしろ、人間の罪の状態が暗示されていると言えます。マリアを守るために「ひそかに離縁しようと決心した」(19節)優しく、善良と思われがちなヨセフもマリアを信じ切れず、許嫁を守るという大義の下での離縁も実は保身のためであったのかもしれない…。彼も決して罪と無縁な存在ではなかったのです。それ故に「罪から救う」(21節)が強調されなければならないのです。イエスの誕生では処女降誕の真偽が取り沙汰される傾向があります。しかし、問題はそれではなく「民を罪から救う」救世主は誰かなのです。真の神の子が「聖霊の働き」(20節)によって真の人として生まれた。この方以外に「(人を)罪から救う」救世主に相応しい存在はないのです。父なる神・子なる神・聖霊なる神(三位一体の神)が全存在を懸けて罪からの救いを成し遂げようとされていたのです。それ程までに人間の罪は大きかった。同時に神の愛は絶大だったのです。クリスマスを「優しいヨセフさん、善良なヨセフさん」を謳う感傷的物語としてでなく、神が命懸けで与えて下さった救済物語として捉えたいものです。