<説教の要約>
西経堂伝道所牧師 西田恵一郎
「究極の慰め」
(ダニエル書7章13~14節、テサロニケの信徒への手紙一4章13~18節)
すぐにでも再臨(復活し天に挙げられたイエス・キリストが終末の時に再び地上に来られること)があると信じていた人たちにとって、その時が来る前に人々が死んで行くのを見て、彼らは滅んでしまったのではないかと不安を感じるようになっていました。死の時や再臨の時を知ることは人には許されていません。ただ知っているのは「イエスが死んで復活された」(14節)ということです。その信仰が「神はまた同じように、イエスにあって眠りに就いた人たちを、イエスと共に導き出して(復活させて)くださる」(14節)という信仰に繋がるのです。死の悲惨さを知った上で(マルコ14章36節、15章34節)、復活されたイエスは「天に登ろうとも、あなたはそこにおられ、陰府(死者が眠る暗い地下の領域。神との交わりが断たれ、逃れることができないとして恐れられていた場所)に身を横たえようとも、そこにおられる」(詩編139編8節)お方です。キリストは陰府にさえ赴き、私たちを導き出して下さるのです。「出会う」と「包まれる」(17節)は、それぞれ凱旋将軍が民を迎えに来る時、また敵(ここでは死)から「掴み出す」ということなのです。そしてから、先に召された人たちも含めて「いつまでも主と共にいる」(17節)ことになるのです。気休めでも、単なる願望でもなく、主イエスの復活に基づく、この信仰によって「互いに慰め合いなさい」(18節)という勧めを実行してまいりましょう。