<説教の要約>
西経堂伝道所牧師 西田恵一郎
「あなたは、わたしの愛する子」
詩編2編7~12節、マルコによる福音書1章9~11節)
人を評価する時、世間には「世間の物差し」(基準は能力や才能)と「超世間的物差し」(別の基準あるいは測らない)があると、ひろ さちや氏(宗教評論家)は言いました。キリスト教において人を評価する「物差し」は聖書と言えるかもしれません。なぜなら聖書全66巻を正典と言い、その意味は「物差し」 そこから「基準、拠り所」という意味になった
からです。その物差しで測った時、すべての人は罪人です。そして「罪の支払う報酬は死」(ローマ6章23節)です。旧約聖書は死を「不可避、滅び、痛み、喪失」などで表現しようとしますが、死を表現し切れるものではないでしょう。死は神が創ったものではありません。人が自ら招いてしまったものです。それにも拘らず、神は「誰の死をも喜ばない」(エゼキエル書18章32節)で、「立ち帰って、生きよ」(同左)とおっしゃいます。「生かす」ために神は預言者を送りましたが、人々はそれを拒否しました。残された方法は神の独り子を遣わすしかありませんでした。それがイエス・キリストで、彼を通して人を死から救う唯一の方法でした。その宣言が「あなたは私の愛する子、私の心に適う者」(マルコ1章11節)でした。このイエスを受け入れる者は、神の子とされるというのが聖書の約束です。その時、死は恐れの対象ではなく、新しい生への入り口なのです。