<説教の要約>
西経堂伝道所牧師 西田恵一郎
「約束のものを待つ」
(ヨエル書3章1~2節、使徒言行録1章1~11節)
イエスの死後、家に閉じ籠っていた弟子たちは力の欠如を痛感していました。それを知る復活のイエスは、弟子たちの所に行き「あなたがたに平和があるように」(ヨハネ20章21節)とおっしゃいました。「神が共におられる」という意味です。しかしイエスは「行く」のです。必ず「戻って来」られるが、一時、離れるのです(14章2~3節)。その間、「もうひとりの弁護者」(16節)として父から遣わされるのが聖霊です。「この方は真理」(17節)を教え、「力」(使徒言行録1章8節)を与え、彼らを福音の「証人」(8節)としたのです。「地上において主イエス・キリストの御事業の続きをして下さるのが聖霊です。主イエス・キリストの代わり、主イエス・キリストご自身と言ってもよい」(植村環)。主イエスはおっしゃいました、「約束されたもの(聖霊)を待ちなさい」(4節)と。「待つ」と「祈る」は同義語と言えます。「教会の危機は教会の世俗化と祈りの欠如」(第2バチカン公会議)であるとすれば、「今は聖霊の時代なのであります。聖霊と共に生活するということは、私どもは祈る人でなければならない。教会の礼拝を重んずる人でなければならない。御言葉をよく読み、これに従う者でなければならないわけであります」(植村環)。